ベルトも靴もいらない生活ー自宅隔離の日々(20年2-3月)

帰国直後から隔離の準備

前回までは昨年の2~4月に書いたものをベースにしておりましたが、今回から普通に書きます。しかし話題は去年2月に中国に戻った直後の話です。

昨年の2月20日、緊張感のある移動を経て無事宿舎に戻ることができましたが、今度はそこから二週間の隔離が待ち受けておりました。
ただし、到着初日だけは買い物をして良いとのことだったので、移動で使ったトランクを空にしてスーパーに買い出しに向かいました。
この時期はまだ道行く人全員がマスクをしていましたが、感染が深刻ではない街だったからか、空港のような張り詰めた緊張感はありませんでした。

帰国当日のスーパー
20年2月20日のスーパーの様子。既に入口では検温が行われておりました。

困った時の水餃子

二週間隔離されることはあらかじめ聞いていたのでそのつもりでいろいろ買いましたが、一番役に立ったのは冷凍の水餃子でした。日持ちするしゆでるだけってのは強いですね。日本にいた時も中国系のお店で買いだめしていたのですが、中国でもずいぶん助けられました(今も冷凍庫にたくさん入ってます)。なお、万が一買ってきたものが尽きた場合は、外国人教師担当の先生に連絡すれば代わりに買ってきてくれるとのことだったのですが、感染させるリスクを考えるとやはり頼みにくかったので、日持ちするや即席のものを中心にしてなんとか乗り切りました。

よりによって熱が出る

隔離期間中もネット授業をしていたのですが、一週間経った頃に熱を出してしまいました。恐らく日本を出る前から風邪気味だったのが悪くなったのだと思いますが、隔離期間の発熱ということで、学校が神経質になっている様子がWeChat(中国のSNS)の会話からも伝わってきました。結局しばらくの間、朝晩体温を測って担当の先生に報告することになり、無味乾燥な体温計の画像を送付する日々が続きました。幸い数日で回復しましたが、もしかしたら自分も移動中にもらったのかなと少し不安になったのを覚えています。

最後の関門を超え無事出所

家から一歩も出ない割にはいろいろあった二週間を乗り切り、最終日は核酸検査(この時期の中国の正式な検査)です。区の疾病センターから派遣されてきたんだそうで、ちょっと長目の綿棒のようなものを口に入れて粘膜を採取していたようです。検査の結果はすぐ出ると言われていたのですが、この時期は検査対象が多かったから時間がかかるとかで三日ほど待ちましたが無事陰性が判明し、めでたく外に出られるようになりました。
その通知を受け、早速外に出ようと着替えたのですが、そこでベルトが見つからないことに気づきました。資料の中に埋もれていたのですが、二週間も外出しないとベルトの存在がわからなくなるものなんですね。靴を履く時も妙な新鮮な感じでした。そしていつもと何も変わらないはずの外の空気がうまかったこと。

核酸検査スタッフ
宿舎にやってきた検査スタッフの方。こういう装備で来られるとやはり緊張感がありますね。

こうしてなんとか隔離期間が終わりました。ところで、隔離の指示以降ずっと気になっていたのですが、二週間の隔離前に買い物に行って良かったんですかね。もちろんこちらとしては外出できて本当に助かったのですが、僕が上海から飛行機に乗ってきたと知ったら何か言う人もいたんじゃないかと思います。

この後は条件が更に厳しくなり、隔離の場所が入国した都市のホテルになりました(宿泊は自腹らしい)。早めに来ておいて良かったというのが偽らざるところです。

一年経って思い返すと確かに貴重な体験でしたが、もう十分かなという感じです。当たり前の日常のありがたみを痛感します。

maelific526

現在中国で日本語教師をしております。 日々の出来事、気になったことをなどを気楽に書いていきたいと思います。

シェアする

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

コメントする

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください