2020年2月、日本→中国移動の記録⑤

いよいよ中国へ帰国、羽田空港へ

去年の2月、ネット授業が始まってほどなく帰国を決意しました。

このときは上海に一泊し、飛行機を乗り継ぐ移動でしたが、それまでとは全く異なるその空気は約一年経った今でも鮮明に覚えています。

では、いってみましょう。2020年3月15日投稿の記事(一部修正)です。

 

前回はネット授業について書きましたが、今回は約一ヶ月前に一時帰国を終わらせて中国に戻った話を先に書こうと思います。

2月中旬といえば、日本でもダイヤモンド・プリンセス号のニュースが中心で、まだコロナウイルスが日本全体を揺るがす問題にはなっていませんでした。一方中国は徹底的な抑え込みで辛うじてしのいでいるような時期。なぜそんなタイミングで帰ったかというと、一つは既に中国で始まっていたネット授業に家では対応しきれないこと、もう一つは一時帰国中の自分が原因で家族が感染することは避けたかったこと、最後にこのまま行くと日本も厄介なことになるだろうと思ったことでした。

そんなわけで学校に帰りたいと希望を出した結果、渋々ながらも戻る許可が出たのは2月14日前後。すぐに航空券を予約しました。搭乗前日にチェックインして座席を予約しましたが、団体が丸ごとキャンセルしたようなまとまった空席があったので、とりあえず人との接触が少なそうなその真ん中を押さえました。

ガラガラのカウンター

そして2月19日に移動開始。まずは羽田に向かいましたが、JRの車内は完全にいつもの光景で、マスクをしている人はほぼいませんでした。本来なら都心で乗り継ぐのですが、感染が怖かったので空港まではバスを使いました。ウイルスが影響していたかどうかは知りませんが、バスの乗客は7人くらいしかいませんでした。羽田の国際線ターミナルも全体的に閑散としていました。普段ならかなり待たされる上海行きのチェックインもスムーズなもので、搭乗口の人影もまばら。搭乗口近くのカフェの人によると、1月半ばから搭乗する人自体がかなり少なくなっていたんだそうです。

搭乗便のチェックインカウンター。いつもの長蛇の列はどこにもありませんでした。

上海行の搭乗口。本当にここから飛行機が出るのかと思ってしまう静けさでした。

人が少なかったからなのか、搭乗時刻になると、案内の人はマイクを使わず直接「並んでください」と声をかけておりました。マイクを使わずに搭乗口に呼ぶというのは、恐らく初めて見る光景です。

このようにマイクも使わないくらいだからどれだけ空いてるんだろうと思っていましたが、いざ乗ってみると空洞だったはずの僕の周りもそこそこ人がおり、全体では7割くらいは埋まっていたように見えました。日本人はほとんどいないようで、直前に日本からの脱出を選んだ中国人も案外多かったのかも知れません。

飲み物の代わりに…

僕が乗った便は中国東方航空という中国の航空会社ということもあり、機内は完全に防疫モードでした。乗務員から客までマスクをしていない人はいません。中にはゴーグルをかけている人もいました。

ゴーグルを装備して搭乗した近くの人。不思議な格好ですが、この状況下では笑うことなんてできません。

定番の飲み物のサービスの代わりに検温がありました。マスクをした客室乗務員がおでこにピッとやって乗客の体温を確認していきます。発熱してる人はゼロだと思いたいけど、実際はどうだったんでしょう。

機内食も簡素化されており、菓子のようなものが出されました。中国はもはや機内食を作る状況ではないのでしょう。自社(?)で作ったのはカステラくらいではないでしょうか。

機内食の代わりに出てきたもの。これだけでも中国の厳戒状況がわかります。

入国の書類もいつもより多く、「出入国者健康表明カード」なるものを記入しなければなりませんでした。名前や連絡先、体調以外に、今乗っている便のどこに座っているか、2週間以内に湖北省にいたことがあるかなどを聞かれました。

機内で記入が求められた健康状況報告書。裏側は英語で書かれていました。

夜の便ということもあったのでしょうけど、これまで乗った東京上海便とは明らかに異なり、この日は独特の重い空気や緊張感に覆われていたように思えます。

そんなこんなで夜に上海入りしました。上海に一泊してから地元に移動しましたが、それは次回書くことにします。

maelific526

現在中国で日本語教師をしております。 日々の出来事、気になったことをなどを気楽に書いていきたいと思います。

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