壊れたパワーバランス
「大S」の訃報
今月の2日、台湾から春節休みで日本に遊びに来ていた徐熙媛(ハービー・スー)という女優が都内の病院で亡くなってしまいました。原因はインフルエンザが原因の肺炎(敗血症とも)。まだ48歳の若さでした。
ニックネームは「大S」。初めて聞いたときはずいぶん不思議な名前だと思いましたが、90年代前半に妹の徐熙娣(ディー・スー)と二人で「S.O.S」というユニットを組んでデビューして有名になったことから、中国語で年齢が上であることを意味する「大」をつけてこう呼ばれるようになったとのこと。ちなみに妹の徐熙娣は「小S」と呼ばれております。個人でも「流星花園」(「花より男子」の台湾版)などのドラマや映画に出ていたそうで、中国でも非常に知名度は高かったようです。
また、S.O.Sとして活動していた1995年には日本デビューも果たしています。その後台湾では日本車のイメージタレントをやっており、日本との縁も深かったと言えるでしょう。
youtubeには日本のテレビに出演したときの映像が残っています(25/02/08現在)。サムネの右が大Sで、司会はBINGO BONGO時代の「ゆうすけ」サンタマリアです。
避けられた死?
ところで、多くの人に早すぎる死を惜しまれている一方、本人や家族の危機意識の低さを指摘する声も出ています。では、実際彼女は日本でどう過ごしていたのでしょうか。正確な情報が出ているわけではなく、メディアによって場所や時々の病状に食い違いもありますが、いくつかの報道を参考に大体の行動を追ってみましょう。
1月29日 本人や妹の家族とともに来日、箱根へ移動。すでに咳や喘息の症状が出ていたが、本人は「ただの風邪だ」と言っていた。咳をする様子を見たガイドは、大Sにマスクをするよう言ったが結局マスクをつけなかった。
30日 38℃の熱が出ており外出はしなかったが、予定通り箱根で露天風呂に入る。その夜体調が悪化。友人に病院に行くことを勧められるが興ざめさせたくないという理由で拒む。
31日 昼間は引き続き外出できず。深夜、病状の悪化を見た家族が午前2時過ぎに救急車を呼び、箱根の病院で応急処置を受ける。この時点で血中酸素濃度は呼吸不全レベルの89%(正常値は96-99%)、肺では呼吸音に異常が出ていた。なお、処置後は本人がホテルに戻ることを希望したとも言われている。
2月1日 午前10時過ぎ、箱根の病院の医師から都内の大病院での治療を強く勧られたが、帰りの飛行機の予約もしてあるし予定を変えたくないとう理由でやんわりと拒否して都内に戻る。東京に戻る途中またはホテルに戻った後に大病院で検査をした結果、A型インフルエンザの感染が確認される。夜には呼吸停止に陥り、病院でCT検査を行った結果、肺が真っ白になっていることが判明。
2日 前夜から続けて治療を続けてきたが、午前7時頃に死亡が確認される。
29日の時点で既にインフルエンザに感染していたようにも見えます。早いうちに病院に行っておけば、そもそも旅行自体を取りやめておけばと思えてなりません。
本人も周りも来日からたった5日でこうなるとは誰も思っていなかったのかも知れませんが、治療より旅程を優先したのならば、やはり油断していたのでしょう。それを物語るかのように、亡くなる前夜の2月1日には大Sの母と妹がライブ配信を行っています。楽しそうに踊っている二人の表情は、なるほどその数時間後に家族を失う人のそれではありません。
また、彼らのSNSの画像から、都内での宿泊先はペニンシュラ東京の1泊15万円程度の部屋だったと言われています。15万の部屋に泊まれるなら、お金に目をつぶって都心のレベルの高い病院に駆け込み一命を取り留めることもあったんじゃないでしょうか。
これらのことが原因で同行した家族は少なからず批判されていたのですが、追い討ちをかけるように亡くなった数日後に大Sに癲癇と心臓病の病歴があったことが報道され、批判が一層大きくなってしまいました。確かに報道に出ている話を読む限り、楽観的過ぎた気はします。
名前しか知らないタレントの訃報だったこともあり、このニュースも「ああ、またか」と思って読んでいました。コロナが発生する前ならば、インフルエンザで亡くなるなんて信じられないニュースだったはずですが、コロナの発生からわずか5年、感染症は悪い意味で身近になってしまいました。科学は進歩しているはずなのに、何かが後退しているような感覚。ウイルスと人間の力関係は、ここ数年で変わってしまったのかも知れません。
「風邪は万病の元」という言葉を思い出しながら、地道に気をつけるしかないんでしょうね。